2013年度_表現プロジェクト演習(日中文化比較)
2013/7/25 第15回 第三回調査の整理(3)(実施時間2013-7-25)
みなさんこんにちは。TAの毛久燕です。
今回の授業は、図書館3階のICT講義室で行いました。主に高橋実さんが紹介した芸術村会館や小国和紙などに関する話をCDで確認しました。やり方はいつもと違い、CDを1, 2分ずつ分けてグループごとに聞き取りをしました。日本人の学生と留学生でグループになって、聞き取ったものは、その場で書き起こしをしました。最後に、全員で書き起こしたものをもう一度確認しました。これまでの二回の調査について、それぞれ分担した部分の完成原稿を先生に送れば、学生たちの作業はおしまいです。
ICT講義室
授業中
今回は最終の授業です。この授業に関心を持って、最後までこの報告を読んでいただいた方々に、お礼を申し上げます。
2013/7/19 第14回 第三回調査の整理(2)(実施時間2013-7-18)
みなさんこんにちは。TAの毛久燕です。
今回の授業は、図書館2階のラーニングコモンズで行いました。第三回調査で聞いた昔話や伝説などを録画で確認し、分からないところを検討しました。
確認したものは以下の通りです。(あらすじは前回の報告書に参照。)
「八石山の伝説について」(高橋実さん)
「木こり(木挽き)の夫婦」(五十嵐サチさん)
「姥捨て山」(鈴木百合子さん)
また、五十嵐さんと高橋先生の話に出てきた場所や民俗行事についても確認しました。五十嵐さんが実家で木挽き職人から聞いた話、山の神の十二講の行事、蛇の皮を財布に入れると金がたまるという蛇の衣の話、などです。
では、また次回を楽しみに!
2013/7/13 第13回 第三回調査の整理(1)(実施時間2013-7-11)
みなさんこんにちは。TAの毛久燕です。
今回の授業は、まず第三回調査で聞いた昔話について確認しました。また、録音を文字化する作業の分担を決定した後、今回の小国調査について学生たちの感想を聞きました。
ビデオで確認
昔話について
「お藤とお杉」(鈴木百合子さん)は継子いじめの話である。お藤のお母さんが亡くなった。継母は、娘二人を栗拾いに行かせる。それから、お殿様の嫁捜しの、歌(和歌)較べ。お杉はお母さんから猫の糞というような汚い歌を覚えさせられて、叱られ、美しい雪を歌ったお藤が殿の嫁になる。この話は去年の報告書に掲載した「粟ぶくろと米ぶくろ」と似ている。先生の説明によれば、この話は本当は「米と粟」という名前のほうがが古い話で、ベトナムの話でも米と粟というような名前になっていて、ベトナムあたりにまで繋がるシンデレラタイプの話だということだった。
「木こり(木挽き)の夫婦」(五十嵐サチさん)は、実際にあった話として語られた。五十嵐さんのお母さんの実家は、道具を造る仕事をしているお宅で、その材料の木を伐り出す木挽きから聞いた話だという。夫婦で山に入って働いていたら、夫が木を伐っている間に、妻が大蛇に呑まれてしまう。夫が大蛇を切り殺して、妻を救い出したけれども、大蛇のお腹に入っている間に、髪の毛が皆溶けてしまたというような話。山の神様が助けてくれたという。
「姥捨て山」(鈴木百合子さん)は、食べるものを節約するため、60歳になったら老人を山に捨てるという話である。
「和尚とイタチの話」(五十嵐サチさん)はイタチが化けて出て和尚を脅す話。
そのほか、高橋先生から八石山の二つの伝説も聞いた。一つは「婆石の話」。もう一つは八石山との由来話。八石山という名前の由来については、継母が炒った豆を渡すが、それを撒いたら、一本だけ芽が出て、豆が八石も採れた、というものである。その豆の木が倒れた場所も地名が残っているという。
参加者の感想
「いろんな昔の農機具などを展示しているところに入った時に、藁を使っていろいろ道具を作った職人さんが重宝されたというのを聞いて、そういう技術はどの家でも、お年寄りが持っている技術かなと思っていたけど、そうではなくて、そういう技術を持っている人が大事にされるというのを聞いて驚きました。」
「物語については、大蛇の話がすごく印象的でした。」
「八石山に実際に行って、昔話に出てきたことをより一層イメージしやすくなった。」
「話を聞いた芸術村というところは、今はとても自然豊かなところですけど、中越地震で全戸移転したと聞いて、ちょっともったいないなと思いました。」
次回は、図書館での授業です。お楽しみに!
2013/7/10 第12回 第三回調査(実施時間2013-7-7)
今回は小国町への第三回調査です。今朝は雨が降りましたが、予定通りに9時に農学部前を出発しました。10時半ごろ小国町に着き、山口庭園で郷土資料館となっている農機具館・小国和紙館・敬山閣・漆器館を見学しました。12時ごろ小国の昔話によく出てくる八石山の麓に着き、「ステーキハウス八石」という店で昼ごはんを食べました。その後、雨のため八石山の婆石を見に行く予定を変更し、登山口で高橋先生から八石山に関する二つの伝説を聞きました。午後1時からは、小国芸術村会館で語り手の鈴木百合子さんと五十嵐サチさんから「お藤とお杉」「木こりの夫婦」「婆捨て山」「イタチの話」の昔話を聞きました。また、第一回調査で聞いた昔話の中で分からなかった方言などについて、お二人の語り手や高橋先生に聞いてみました。
次は、写真で今回の旅を紹介してみたいと思います。
郷土資料館(農機具館)
囲炉裏の風景
つぐら
十能(じゅうのう)
高橋先生の話に出てきた洗わない箱膳
肥料や土などを運ぶ「舟(ふね)」
肩で運搬する「こよ篭」
雪帽子
消防用のポンプ
藁帽子など
雨が降るときに履く「すっべ」
いざり機と冬の大切な仕事「機織り」
見学中
敬山閣
郷土の産業振興に力を注いだ山口家所蔵の古文書・生活用品・調度品・収集品などを展示しています。
見学中
漆器館
見学後、八石山にの麓に行きます。
雨中、八石山に向かう
八石山の麓にあるレストラン「ステーキハウス八石」
昼食
レストランの二階から見える風景
八石山の廻りの深い森
八石山の伝説を語る高橋先生
小国芸術村会館で昔話を聞く
授業中
質問中
五十嵐サチさん質問
鈴木百合子さん質問
検討中
検討中
では、また次回を楽しみに!
2013/6/29 第11回 第一回調査の整理(5)(実施時間2013-6-27)
みなさんこんにちは。TAの毛久燕です。
今回は、①鈴木さん「八石山の思い出」の録音を聞いて確認、②留学生の翻訳分担の決定、③7日の調査の日程について、です。
「八石山の思い出」は、鈴木さんが高等二年(今の中学校)のときの、八石山への遠足の経験を語ってくださいました。特に遺跡があるというわけではありませんが、湯花や塩水が出たり、石油が出たり、また弘法大師の不思議な伝説や飢えた子のために山菜を取ってきてやろうと、山に入った人が、滑って死んでしまったところなど、なかなか不思議な山という印象でした。
配布プリントから
翻訳分担の決定
「山姥と魚売り」 鹿島 2871字 訳→張聡
「甚べえ桃」 松田 3154字 訳(2人)→江荻、張林妹
「鳥のみ爺」 神山 1984字 訳→喬天奇
「俵ころがし」 佐野 1563字 訳→呉柳澤
「ほらばなし」 京谷、久野 2082字 訳→李君薏
<昔話を翻訳するため、日本人学生と留学生との交流場面>
7日の調査の予定
山口庭園・敬山閣
八石山ふもと(登山道入口)
昼食(ふじい) 1000円
小国芸術村、付近散策
昔話を聞く
注意:八石山のふもとに行くので、山登りの用意(長袖、山歩きの靴、帽子)
では、次回の小国調査を楽しみに!
2013/6/17 第10回 第一回調査(4)(実施時間2013-6-13)
みなさんこんにちは。TAの毛久燕です。
今回は第8回に続いて、第一回調査で聞いた話を確認しました。主に「甚平さんの桃」について、その内容などを検討しました。
○「甚平さんの桃」のあらすじ
昔、甚平さんという人の家には桃の木があった。春になると、たくさんの花が咲いたが、実は一つしかならないという不思議な木だった。甚平さんはその桃を食べてみたいと思い、何度も梯子をかけて登ろうとしたが、取れなかった。村の人たちは「甚平さんの桃は悪魔抜いの桃」と言った。その桃があるおかげで、その村には悪いものが入ってこない、という噂がたった。
およねという娘とお母さんが二人で住んでいた。およねは大きくなって、器量はよく、気立てもよく、あちこちから嫁にのぞまれた。およねはその応対で食うひまも、寝るひまもなくなり、寝込んでしまった。お母さんが心配して、一所懸命看病したけれども、なかなかよくならない。そのおよねが甚平さんの桃を食べたいというので、お母さんは頼みに行った。甚平さんは「どうぞ」と言ったが、お母さんはその桃に手が届かなくて、梯子から落ちて、死んでしまった。およねもその話を聞いて死んでしまった。
甚平さんは気の毒に思って、お葬式を出した。供養をしたはずなのに、その桃の木に二人の幽霊が来た。成仏していないのかと、甚平さんは、方丈様をよんで、お経をあげてもらった。それで、幽霊は出なくなった。
甚平さんは、桃の木を伐り倒し、その桃を、死んだおよねとお母さんの二人の墓に供えた。すると、その桃から芽が出て、次の年にまた綺麗な花が咲いたが、今度はその木にたくさん桃がなった。とても美味しかったので、甚平さんは村中の衆に知らせて、桃を一つずつ分けてあげた。もし二つも食べようとする人がいると、足が痛くなる、やはり不思議な桃だった。
他に、「ほら比べ」と「俵ころがし」も聞いて確認しました。
来週は2回目調査の代休で休みです。再来週もお楽しみに!
2013/6/13 第9回 第二回調査(実施時間2013-6-8)
今日は予定のとおり、第二回調査を実施しました。今回は「新潟県民話語り 長岡大会」への参加と長岡にある新潟県立歴史博物館の見学です。
<農学部前9:00出発>
<「新潟県民話語り長岡大会」会場着>
<会場の様子>
<舞台上の囲炉裏(仮設)>
次に、「新潟県民話語り 長岡大会」の私たちが参加した部分について紹介します。
10:30~11:00 瞽女唄 室橋光枝「葛の葉子わかれ」伊勢音頭くずし 越後長岡・葛の葉会 長岡市在住(写真①)
11:00~11:45伝承語り部の語り
中野ミツ 「雪ん子おせき」 旧下田村出身 昭和9年生 東京都在住(写真②)
鈴木百合子 「笠地蔵」 昭和6年生 長岡市在住(写真③)
小林脩作 「きのまた年」 昭和8年生 三条市在住(写真④)
笠原甚蔵 「カエルの綿帽子」 昭和9年生 新潟市在住(写真⑤)
①
次に、博物館の学芸員の大楽さんにより民俗コーナーの説明を聞きました。
<この前高橋先生の話に出てきた雪を切る道具であるコスキ、コシキとかを呼ぶ。>
<「戦国武将に変身」の体験>
次回、またお楽しみに!
2013/6/9 第8回 第一回調査の整理(3)(実施時間2013-6-6)
みなさんこんにちは。TAの毛久燕です。
今回は、主に高橋実先生の「小国の紹介」「50年前の暮らし」の部分の録音を聞きました。その前に、まず次回6月8日(土)の第二回調査の日程を確認しました。
午前9時に出発。10時半から長岡の「新潟県の民話語り」に参加し、瞽女唄と新潟県の4名の語り手の昔話を聞きました。また、午後は新潟県立歴史博物館を見学しました。お弁当持参での調査です。
さて、高橋実先生は「小国の紹介」「50年前の暮らし」について、去年も話してくださいました(「山崎正治さん・鈴木百合子さんの語る小国の昔話(稿本)3」参照)。
今回は、去年、触れられなかった部分に注目してみました。
ここでは、すべて報告できないので、二つの例をあげます。
○囲炉裏の周り
囲炉裏には必ず火消壷というものがおいてある。これは囲炉裏の熾を入れて空気を遮断し消し炭にするための壷である。この消し炭を炬燵などに入れるとすぐに火が付いて長持ちしたそうである。また、渡しという円錐形の網があり、これを使って餅や握り飯を焼いた。当時は海苔は高級で握り飯を包むことはなかった。握り飯の表面のねばつきがなくなるまで火に当てて焼いて硬くした(焼き飯)。
○家の中の暮らし
トイレは外便所で、家の外に桶を伏せておいてそこにしゃがんで用を足した。紙はなかったのでトイレットペーパーとして葛の葉(ふじっぱ)を使っていた。山では柿の葉などが使われた。夏になると桶にわんさと蛆虫(ごおじ)が湧いていた。しっぽの生えているのもいて、家の中まで上がってくることもあった。それでたいして能力もないのに偉ぶっている人を「ごおじの高のぼり」という言い方があった。
最後に、高橋実先生の「小国の紹介」「50年前の暮らし」についての感想や、新たに気が付いた点について、みんなに聞きました。例えば、近所の人と一緒にお風呂に入ることや、食べ終わったら、食器は洗わずお湯を入れて沢庵や野沢菜で周りのご飯や汁をきれいにして、それを飲んだらそのまま箱膳にしまって棚に片付けたことなど。学生はみな、昔はこういう時代があったのだと、改めて驚いていました。
<黒竜江大学からの留学生たち>
次回は第二回調査で長岡に行きます。お楽しみに!
2013/6/1 第7回 第一回調査の整理(2)(実施時間2013-5-30)
みなさんこんにちは。TAの毛久燕です。
前回の調査で小国町で聞いた昔話を、日本人学生が一人ずつ分担して整理することになりました。今回と次回の授業は、主に録音を聞きながら、皆が整理してきた昔話を確認します。
今日は鈴木百合子さんの「ふるやのもりや」と五十嵐サチさんの「魚売りと鬼婆」を確認しました。すると、方言ではっきりしない部分がたくさん出てきて、学生からいろいろな質問が出ました。解決できないところは、第三回の補充調査で語手の方々や高橋先生に聞いて確認します。ここで、とりあえずこの二つの昔話のあらすじを紹介します。
○「ふるやのもりや」
昔、お爺さんとお婆さんが、血統書付きの馬を飼って暮らしていた。ある寒い晩、馬の餌を煮ながら、お爺さんとお婆さんは仲良く世間話をして、お茶を飲んでいた。すると、狼がこの家の馬を食べようと思って来て、縁の下に隠れた。囲炉裏で話していたお爺さんが、世の中に一番恐ろしいものは何かと聞くと、お婆さんは狼と言ったが、お爺さんは「ふるやのもりや」が恐いと言った。狼は「ふるやのもりや」と聞いて、自分より強いものがいると思い、恐ろしくなって逃げ出した。この日はちょうど馬泥棒も馬を盗もうと思ってこの家に来ていた。馬泥棒は飛び出した狼を逃げた馬と思って、必死でその背中へ飛び乗った。狼は、自分の背中に乗ったのはふるやのもりやであると思って、全速力で走って振り落とそうとした。走っているうちに夜が明け、やっと馬泥棒は自分が狼に乗っていたことが分かった。狼が木の切り株にぶつかって、振り落とされた馬泥棒はあわててそばの井戸に逃げ込んだ。狼は背中の怖いものが落ちて、ほっとした。狼は「ふるやのもりや」が井戸に逃げこんだのを見て、掴まえようと思い、仲間を呼び出し、いろいろな動物が来た。狼は動物たちに井戸を調べに行けと命令したが、皆怖いので、行きたくない。猿が遅れて来て、動物たちは猿に、お前は遅刻したのだから行けと言った。猿は仕方なく井戸を調べに行った。そのころ、猿のしっぽは長かった。猿が降りて行くと、井戸の下にいる馬泥棒は上に登ろうと思って、猿のしっぽを掴まえて引っ張った。すると、しっぽが切れてしまった。そのせいで、猿の尻は赤くなり、顔も力んで赤くなった。結局、「ふるやのもりや」は本当は何であったかというと、のめしこき(怠け者)で、家の屋根の修理を怠ると、雨漏りがする。これをお爺さんは雨漏りが一番おそろしいものだと言ったのであった。
○「魚売りと鬼婆」
小国の八石山に鬼婆が住んでいた。八石山の向うの浜から魚を担いで山を超えて来る魚売りは、いつも魚をこの鬼婆に横取りされていた。ある日、魚売りは、今日こそ鬼婆を退治しようと思って、小国への道を歩いていた。するとやはり、鬼婆が出てきた。この日も魚売りは魚を全部鬼婆に横取りされたが、鬼婆が魚を食べている隙に、魚売りはさっさと鬼婆の家にいって天井裏に隠れた。しばらくたつと鬼婆が帰ってきて、甘酒を飲もうと囲炉裏にかけたまま居眠りをはじめた。鬼婆がぐっすり眠ると、魚売りは、上から葦の茎で、甘酒をすべて飲んでしまった。鬼婆は目を覚まして、甘酒がないので、今度は餅を焼いたが、また寝てしまった。魚売りは餅を葦の茎に突き刺して食べた。鬼婆は目を覚まして、カマド神が餅もみんな食べたと思った。カマド神ならどうしようもないと思って、木の唐櫃か石の唐櫃に寝ようとした。魚売りは、声音を変えて、木の唐櫃に寝るように勧めた。鬼婆が寝ると、魚売りは木の唐櫃に孔を開け、そこへ熱湯を注いで鬼婆を退治した。それから、魚売りは安心して、商売ができるようになった。
次回も小国の昔話の紹介を続けます。お楽しみに!
2013/5/20 第6回 第一回調査の整理(1)(実施時間2013-5-12)
みなさんこんにちは。TAの毛久燕です。
今回の授業では主に、昔話に関する第一回調査の整理作業の分担を決めました。その前に、まず5月12日に行われた小国町での見学と調査の印象を、みんなに聞いてみました。
学生たちからはいろいろな感想や印象についての話が出ましたが、ここではその一部を紹介してみたいと思います:
長谷川邸に関する印象→
「邸内が暗い印象でした」電気がない時代の人々の暮らしを想像しての感想でした。
「邸内が広い。部屋の畳は普通ですが、廊下の畳は見たことがありませんでした。」
木喰仏に関する印象→
「木喰仏の笑顔は、いままで見たことのある仏像の顔とは違います。」
二人の語り手や聞いた昔話に関する印象→
「直接語り手から昔話を聞くのははじめてでしたので、とても面白いと思いました。」
「昔話に例えば鐘の音のような、たくさんの擬音語が出てきたのが一番の印象でした。」
「鈴木さんは昔話を語るのがすごく上手で、五十嵐さんは今回初めて昔話を語っていただきましたが、語り方が普通(=日常的な自然な感じ)だと思います。」
また、高橋先生が昔話の語り方とは異なる現代の日常的な日本語で紹介してくださった小国町の50年前の暮らしについても、いろいろな感想が出ました。例えば、昔はお正月・お盆の時だけ食器を洗ったことや、雪国の「どんど焼き」・12月12日の「十二講」・1月14日「こもりや」の民俗行事などについて多くの感想が出ました。
次に、調査作業の内容を整理します。
高橋実さん
「小国の紹介」「50年前の暮らし」「嘘較べ」
五十嵐サチさん
「魚売りと鬼婆」(祖母の思い出)
鈴木百合子さん
「ふるやのもりや」
「甚平さんの桃」
「鳥のみ爺」
「八石山の遠足の思い出」
「たわらころがし」
(橋谷先生の小国メモより)
以上の内容について、学生が一人一つずつ担当して、録音を整理します。この作業は日本人の学生が分担しますが、その後留学生が昔話を中国語に訳します。
次回は30日です、お楽しみに!